[2016.01.31]
原発が密集立地している若狭湾沿岸部から発電した電気をもらい、消費しているのは私が住む大阪や京都です。ですから、住民の避難対策や再稼働反対の運動の様子などをお聞きしたいと、高浜原発3号機の再稼働に先立つ26・27日、高浜町、小浜市を訪ねました。
高浜町では副町長や職員から、原発災害時の避難対応などについて話を聞かせていただきました。
高浜町では昨年夏に避難計画を策定、自主防災組織を立ち上げ、要支援者を特定するなどの対策を進めているとのことでした。しかし、県単位の避難訓練は実施したことはあるものの、今年度中の実施を目標としていた町独自の細やかな避難訓練が未だに実施をされないまま、高浜原発の再稼働が目前まで迫ってきているという状況でした。いざという時の訓練が不十分なまま再稼働が先にされるというのは、どう考えてもおかしな話です。県や国も地元自治体にだけ対策を丸投げにしているのであれば、その姿勢が厳しく問われます。
その後、渡邉町議の案内で高浜原発近くへ。周辺は警察による厳重な警備と検問。側道に車を一時停止することもままならず、異様な雰囲気でした。
翌日は国宝の本堂と三重の塔がある明通寺の中嶌哲演住職(原発設置反対小浜市民の会)、佐藤正雄県議と懇談。
若狭に原発が15基も造られる中で住民の中に対立と分断が持ち込まれてきたこと、原発依存から抜け出していくためには住民本位の町おこしが重要であること、電気消費地である大阪や京都と連携した運動の展開の必要性などを聞かせていただきました。
小浜市は原発建設や使用済み核燃料の中間貯蔵施設誘致を再三拒否してきた自治体です。鯖街道の起点があるこの地域は、奈良時代以前から「御食国(みけつくに)」として栄えてきた歴史をもちます。そんな小浜市では、2000年代に「食」の町づくり政策で、地産地消の給食や保育所からの食育を進めているそうで、当時問題になった使用済み核燃料の中間貯蔵施設誘致を「食」と原発の危険性は相容れないと拒否したとのことでした。原発に依存しない町のあり方を住民が選択してきたわけですね。
(小浜の漁港)
あっという間の視察でしたが、人に触れ、歴史に触れ、文化に触れ、ひとたび福島のような事故を起こせば全てを奪ってしまう「原発はいらん」の思いを強くしました。